初音ミクの立ち位置 〜VOCALOIDは電気羊の夢を見るか?〜
3月17日に開催された「デジタルコンテンツ協会セミナー」にてVOCALOIDの産みの親ヤマハの剣持さん、初音ミク発売元のクリプトンの伊藤社長の講演がありました。
その様子は以下のITmediaの記事で紹介されています。
『初音ミク作品の“出口”は 「表現」と「ビジネス」の狭間で 』
初音ミクの現状をとりまく諸問題について参考になる内容です。
これと関連して「初音ミクは楽器なのか?歌手なのか?」という問題に興味をそそられました。
以下これについて個人的な考えを述べたいと思います。
まず「初音ミク」は明らかに楽器だと自分も思います。
音楽を構成する要素として様々な楽器の音がありますが歌手の歌声もその意味では楽器なわけです。
ピアニストはピアノと言う楽器を演奏します。それと同様に歌手は自分の肉声という楽器を使って演奏していると言う考え方です。
ここで歌手をPCにデータを打ち込んだユーザ、肉声をVOCALOIDと置き替えることは容易に想像出来ます。
つまり物理的な側面と運用形態で解釈すればVOCALOIDは楽器であると言えるわけです。
この場合、成果物である演奏の著作権はプレイヤーであるピアニスト、歌手、ユーザにあるわけでピアノ、肉声、VOCALOIDという楽器群ではありません。
ではVOCALOIDの使用許諾条件に他の楽器には無い制限が何故あるのか?
それはVOCALOIDが他の楽器とは明らかに異なる特徴があるからにほかなりません。
大きくは以下に述べる3つに絞られる思います。
このことは現在起きている色々な問題の根本に繋がることだと思います。
第一にVOCALOIDは演奏者(ユーザ)の完全所有物では無いということです。
15000円程度の対価を支払ったとおっしゃるユーザもいるかと思いますが、これはソフトウエアの使用権を得たということでありユーザとヤマハ・クリプトンとの契約として成り立っています。 所有権とは意味合いが異なります。
歌手が自分の肉声でどんな内容を歌おうが自己責任となりますがソフトウエアを使用するというのはそんなに自由なことではないのですね。普段あまり意識していないことですがコンピュータのソフトというのは多かれ少なかれこのように使用権が売買されているものなのです。
このような位置付けゆえに以下の第二および第三の特徴と関連して複雑な事象が発生しています。
第二に楽器としての表現機能が大幅に高いことです。
何が言いたいかというと決して他の楽器が劣っていると言うことではなくてVOCALOIDは「言葉」を紡ぐことができるので直接的に演奏者のメッセージをリスナーに届けることができるということで音楽性の優劣とは無関係です。
ピアノで「うれしい」とか「かなしい」ということを伝えるのはそれなりのプレイヤーのスキルが必要で更にはリスナーの主観に頼る部分があります。
一方VOCALOIDでは歌詞として「うれしい」「かなしい」という意味の言葉を埋め込んでしまえば少なくとも表面的には誤解なくリスナーに伝わります。言霊(ことだま)といったら大袈裟かもしれませんが。
したがって公序良俗に反する内容もそのまま伝わってしまうということです。これは他の楽器では生じ得ないことです。VOCALOIDの権利者が一番憂慮している所とも言えます。
包丁の注意書きに人を傷つけていはいけないとわずわざ書くことがないのは一般常識的にも法的にも周知されていることで客観的な尺度もありますが公序良俗と言うのは主観の占める部分が大きいので扱いが厄介です。これまでもチャタレー事件など表現の自由かわいせつかと言う議論がたびたび出ている様に時代とともに価値観も変化して行くことで解釈が一様には出来ないのですね。
クリプトンにしてみれば次に述べる第三の特徴と絡めて初音ミクのイメージを守ると言う姿勢でガイドラインを設けたわけです。
第三にキャラクター性が付与された商品であることです。
キャラクターボーカルシリーズと冠されたことでも明白なように同じVOCALOIDでも初音ミク等のCVシリーズは特に別格ですね。KAITOやMEIKOもこれに準じます。
KEI氏の描いた数点のグラフィック、そして藤田咲さん下田麻美さんという声優のサンプリング音源データ。これだけで初音ミク、鏡音リン・レンと言うキャラクターが成立してしまいました。他のアニメやマンガのキャラクターに比べればバックボーンになる物語や設定等が皆無に等しいにも関わらずです。
思うに初音ミク等CVシリーズの楽曲はある意味全て二次創作なのではないかと言えます。設定の少なさ故にユーザの想像を割り込ませる余地が大きいわけで、そこが様々な素晴らしい創作が生み出される土壌になったのです。まさにこれは当初からクリプトンが狙っていた戦略でもあります。
CVシリーズのVOCALOIDは一種のスターシステム(手塚治虫のマンガ等に見られた形態で設定や世界観の異なる個別の作品にひげおやじやアセチレンランプ等の同じキャラクターがその作品世界でのキャラを演じる役者として登場する)の構成員でありユーザーが自由に配置して使えるCGMを促進する側面が強調されています。
そして楽曲だけでなくイラストや造型物など様々な派生創作物が生み出され、ミクをはじめとするキャラクター達はユーザによって育てられて疑似人格的な物が形成されて行きました。キャラのイメージ・シンボルとして定着したネギやロードローラなどはその生成過程で出てきたものです。
そう言った作品の中でもVOCALOIDという人とは異なる存在の悲哀を歌ったものも少なくありません。ユーザがキャラクターへ感情移入をしてしまった結果といえます。しかも一部のユーザだけではなく大きなムーブメントになっています。
こんなことは普通の楽器では決して起こり得ない現象です。強いキャラクター性があってはじめて可能となることですね。
古来から日本には身の周りにあるあらゆる物に神様が宿っていると言う思想があります。九十九神(つくもがみ)というやつです。現在ではそれを意識している人は少ないと思いますが長い生活慣習で染み付いている日本特有の価値観もあるはずで愛用の道具に対して思い入れを込める人は多いのではないでしょうか?
それが人に似た形をした物で、さらには可愛い少女の姿をしていれば言うに及ばずです。
当初は18禁のPCゲームとして発表され後にプレイステーションに移植されたりTVアニメにもなったToHeartという作品で一番の人気があるキャラはマルチというメイドロボです。その愛らしい容姿や健気に主人公に接するキャラクターが受けたのですが、特に人間ではないロボットであるがゆえの悲しいストーリーが共感を呼び、いわゆる泣きゲーの礎となりました。
初音ミクもマルチと同じ少女形のアンドロイドと言う設定がその筋の人達の琴線に触れたのは否定出来ません。しかも今度は透き通った歌声まで聞かせてくれるんですからね。
そういえば他にもヘッドセットをしていて緑色の髪でニーソックスを履いた絶対領域なんて外観は初音ミクとマルチで共通の特徴がありますねぇ。単なる偶然の一致なのか人型のものに抱く共通したイメージなのか興味深いところです。
なんにしても初音ミクには大きく人を引き付けるキャラクター性が備わっていることは間違いないです。
以上述べた様に初音ミクは楽器であると同時にキャラクターでもあるという非常に特異な存在です。
では権利者としての人格は果たしてのあるのでしょうか?
初音ミクはあくまでもユーザのコントロール下にあって自律的には歌声を発することはありません。先に述べた様に楽器としての位置付けで見れば単なる道具なわけで人格があるとは言えません。
一方、サンプリングの元になった声優さんの権利とかミクのキャラクター性等を加味して考えると事態は非常にややこしくなりその解釈をめぐって議論されているわけです。ましてやユーザによって育まれて来た多面性のある疑似人格が一人歩きし始めている状態です。
そこに経済効果ありとあらゆる方面からの商用オファーがされて創作物の権利関係が複雑怪奇になってしまいました。お金が絡み出すと本当に恐い話になります。
自分としてもここに関しては結論を急ぐことはしないという逃げの論法を取らざるを得ません。とにかく前例のないことであらゆる点で規格外。現行の著作権法等の仕組みの方が追いついていない状況です。
それこそ手塚治虫の鉄腕アトムでロボット人権宣言がされた様な事態にでもならなければ大きな変革はないかもしれません。初音ミクはそれだけの事件のトリガーになり得る存在になってしまったわけです。
ちなみにアトムの時代設定は2003年で既に過去の話になってしまっています。この作品が描かれた1950年代は人種差別が大きな問題になっていた時代で、それを人間とロボットの間の差別に例えて手塚治虫は訴えていたのです。
2008年の今、人権と著作権と言う違いはありますがVOCALOIDという人に似た人とは異なる物がきっかけとなって私達に権利問題を投げかけているのは何か不思議な感じがします。
SFの世界が現実化してきている面白い時代に立ち会っているのだと実感します。
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